まいどおおきに!
お正月休みはいかがお過ごしでしょうか?
おっちゃん、元日から風邪ひいてもうてエライ目におうてます。
朝起きたら喉が痛くてね。
それでも元日の行事はせなアカンし、神棚に新年のお祝いを申しあげ、
お屠蘇をいただいて、まずは墓参り。
で、オカンとこに新年の挨拶に伺った。
阪神西宮のマツモトキヨシが元日から営業してたから、
風邪薬を早い目に飲んだらええかな?
と高をくくってた。
2日の午後から相棒が泊まりがけで来てくれて、
久しぶりに積もる話と鍋をアテに呑んでたんよ。
いつもは昼頃に鶴橋風月でお好み焼き食べて、見送ってのパターンなんやけど、
山間部は雪が降りそうということで、早い目に帰還。
4日が仕事始めの予定やったから、のんびりしようと思ってたけど、
だんだんと風邪の症状が重くなってきて、
喉は痛いわ、咳は止まらへんわ、倦怠感ダウン・・・
夜は夜で咳き込んで、睡眠不足。
4日はなんとか仕事始めたけど、そんなんが続いて、KOですわ。
そんな中、スマホに速報で星野元監督の死去のニュースが入ってきた。
最初は信じられなくてねぇ。
「誤報ちゃうやろな?」と疑ったくらいで。
パソコンを起動させてYahoo!のトップに出てたけど、それでも信じたくなかった。
おつきあいの古い仲間はご存じで、おっちゃんは昔はタイガースがキライやった。
子供の頃、親父がトラキチで試合に負けると家族当たり散らすんよ。
ナイターがボロ負けすると「寝ろ!」と言って、家中の電気消して”ふて寝”する。
夜の8時や9時に「寝ろ!」言われても、こっちは宿題も終わってないし。
そんなんが続くて、次第に野球が嫌いになっていった。
いろんなことあって、ありすぎたかな?
親父は脳梗塞で入院して、気管切開、胃瘻の手術を受け丸2年寝たきりで、
好きな酒もタバコも、食事すら出来ないまま、息を引き取りました。
あんなに憎んだ親父やのに、なんでこんなに悲しいねんやろ?
そのくらい泣きました。
四十九日の法事が終わるので、よく夢に出てきたなぁ。
ひとつの区切りが終わって、無言で暗闇に消えいく親父の姿。
そんな夢を今でも憶えてるんわ。
一周忌の法事を迎える年に野村克也監督誕生のニュースが飛び込んで来た。
「阪神、応援してみようかな・・・」
なんやろな、理屈じゃ無く、なんとなく思ったんやわ。
その頃よく行ってたお店での知り合いとの会話で、
「阪神ファンやったん?今度、道上さんと一緒に甲子園で応援するのがあるんやけど、
なんやったら申し込んでみよか?」
ミスタータイガース・村山実さんが現役バリバリの頃、
親父に連れられて甲子園に一回だけ行ったことかあったきり。
後日、抽選に当たったんでその方とご一緒しました。
一塁アルプスのやや下段やったかな?
対戦相手が星野監督率いる中日ドラゴンズ。
始球式の前に道上さんとご一緒に”六甲おろし”の大合唱!
その時やったかな?
道上さんがマイクパフォーマンスで、
「星野監督、あなたは阪神ファンと伺っています。今日は是非とも勝ててください!」
『なんちゅーこと、言うねん!』と道上さんに聞こえないツッコミした。(笑)
その成果もあってか見事な逆転勝利でした。(笑)
それがきっかけで星野監督が阪神ファンであることを知った。
その後、阪神タイガース公式サイトのBBSで、
和田豊選手の同じ年の方との交流がしたいというきっかけで
知り合ったのが現・鉄ぶちょ(ふくかいちょ)。
それから「37豊虎会」の設立・・・
振り返るとあっちゅうまでした。
37豊虎会の仲間ででよく甲子園に行った”りょうちゃん”とたまたまこんな会話した。
星野さんがドラゴンズの監督を辞められて、
タイガースはいわゆる『暗黒時代』の真っ暗の中。
おっちゃんは「星野さんがタイガースの監督してくれへんかなぁ?」
りょうちゃんは「そんなんありえへん」と言うたかなぁ?
そらそうやなぁ、ライバル球団の監督が・・・ねぇ。
星野監督の伝説ってよく聞いてたから、今のタイガースには必要なんちゃうか?
そんなことも力説したような記憶もありますばい。
理不尽なことで叱らない、叱った後でもフォローがある。
おっちゃんにとっては星野監督って理想の親父像やった。
それも「タイガースに来ていただきたい」という思いもあった。
いつやったかなぁ?
春季キャンプの後半、当時、エースだった藪恵壹投手が
「開幕投手について」聞かれて
「」
しかし、いざタイガースの監督になると決まると、正直戸惑った。
そのことをりょうちゃんに言うと「会長!『来て欲しい』って言うてたがな!」
その一言で終わったわ。(笑)
2002年10月14日の甲子園球場最終戦は仲間と一緒に観戦してました。
最終戦の監督挨拶で「みなさんの悔し涙は、来年必ずうれし涙に変えます。」
たしか、そうおっしゃったと記憶しています。
その言葉が実現するとは、それこそ『半信(阪神)半疑』やった。
快進撃があそこまで続くとは・・・
当時の甲子園球場は自由席があって、チケットを買うのに徹夜組がでたくらい。
マジックが出てからはプレミアチケットでペアチケで十何万やったかな?
阪神尼崎駅前と西宮市役所の前でパブリックビューイングが行われた。
まだ、9月15日が『敬老の日』で3連休になったんやわ。
西宮市億所前の広場で早朝から場所取りして、
仲間達が次々と集まってくる。
そして、あの瞬間・・・
星野監督が赤星選手を抱きしめるシーンから涙で見られなかった。
号泣しているおっちゃんを数台のカメラが!・・・
ABCラジオ「サクサク土曜日 中邨雄二です!」で、訃報を改めに聞いたときに、
「あぁ、しんどかった!」
あの時の星野監督の第一声と笑顔が浮かんできた。
おおきに!おおきに!おおきに!
心からご冥福をお祈りします。